朝。
11月の寒い曇り空というの陰鬱で悲しくなる。
コロナ蔓延ということでバイト非番の妻が車で送ってくれた。
道路は渋滞気味だった。
車列を縫うように1台の3輪モーターサイクルが進んでいく。荷台には魚の入ったトロ箱が積まれている。
幅があるのでバイクのようにすいすいとはいかない。
それでも赤信号のたび、彼は一番前にでるべくもぞもぞ進み、青信号と同時に突っ走っていく。
が、大して前には進めず、そのうち流れてるときは車たちに追い抜かれ、次の信号でまたもぞもぞと前に出る。
いつまで私たちの車の前のまま。何度も何度も同じ風景が繰り返された。
娘の受験校の話をしながらぼーっと車窓を眺めていると、私にはこの三輪車がなんとか成績をあげようと足掻く受験生の親たちにみえてきた。
実績のある塾を吟味し、新しい参考書を買い、個別にいれ、家庭教師をやとい、学校をやすませ、吟味したはずの塾までやすませる。「劇的に上手くいく方法」がどこかにあるはずだと足掻きつづける。
ときには実際上手くいってびょーんと前に出るが結局車列に吸収される。
うまく加速すれば車列をぬけられるのもいるかもしれない。でも事故る可能性は高まるし、疲労もたまる。白バイに捕まるリスクも高まる。
ようやく突破して集団を突き放しても、すこし先には別の車列がまっている。
横をみると20分前においてったはずの自転車乗りがさっそうとすりぬけていった。
昨年、妻のママ友で塾なし受験で世田谷の上昇中の男子校に進学した親子を思い出した。
麻布だ塾中だみたいな子達がほかにいたのでみんなそんなに誉めてなかったけど、あのお母さんすごく誇らしそうだったんだよね。
なにが素晴らしくてなにが素晴らしくないのか、決めるのはそれぞれだ。
今度あったらほめてやろう。
(おわり)