第一志望のチャレンジ校は惜しくも落ちました。
よせばいいのに2日校の帰りに直で発表を見に行きました。
ネットで結果は二時間前に発表されてるのにそれをみることは厳禁されました。
人生の節目ということで、有給のはずなのに職場でお仕事をしていたブラックワーカーなわたくしも昼休みを伸ばして駆け付けました。
少し遅くにいったので、記念撮影してる人がたくさんいました。その割合が倍率のわりに多いのはおそらくネットでみてから駆け付けたからでしょう。頭のいい人たちだ。
うちの番号を探します。
でも番号はありませんでした。
大学受験予備校のパンフレット配布隊がいるんですが、顔見ればわかるんでしょうね。配ろうともしません。
母子と別れ職場にもどりましたが、娘はとても落ち込んで、ひどい片頭痛を発症し嘔吐し寝込んでいると連絡が。
わたくしが夜に帰宅しても、枕を抱えてぐったりしていました。
「悔しいんじゃなくて、悲しい」とぼそっとこぼします。
発破をかけるために
「あそこで記念撮影していた子たちをぎったんぎったんにして勝利することがあなたのこれからの人生の目標だ。方法はなんでもいい。勉強でもほかのことでも。でも、かならず勝つんだ。この敗戦を人生の糧にしなさい」と柄にもなく訓示すると、娘は力強くうなづいてくれました。
挫折を知る人は強い。
西南西の学校の寮にはいって肥前藩ゆかりのスパルタ教育をうけつつ、大学受験から解放されてのびのび学ぶことで、力を蓄えてほしい
と私は思っていました。
夜。
2日校の発表がありました。
2日校は受験業界的にいうと、いわゆる抑えで、娘の最盛期の偏差値からはだいぶ離れたところにあります。私は西南西の学校の件もあるし、この日もチャレンジ校をうけてほしかったのですが、娘自身が妙に気に入っているそぶりだったため、結局受けることにしていました。
21時前になって娘はむくっと起き上がり、自らチェックをはじめました。
ぽちっと押します。
合格していました。
「ギャーーー!!うかってる!!!」
娘は叫び飛び跳ねて大喜び。
勢い余って、往年のオタ芸みたいに腕を振り回し、ついには次女と二人でクロールのフォーム練習とか始めました。前にも登場した娘が本当に喜ぶ時の奇行です。
なんなんですかねこれ。
あれだけ昼から落ち込んでいたので、
「抑えだから受かって当然だよ。はぁ・・・私って駄目ね・・・」とかいうかと思っていたのですが・・・。
「受かってよかったね。でも、明日明後日ダメだったら一月に受かった学校の寮に入って頑張ろうね」と声を掛けましたが、
「はあ?何言ってんの?私ここ第三志望だって前からいってたじゃん。ホント何言ってんのお父さん。寮は金がかかるから老後資金がどうとかブチブチ言ってたくせに。意味わかんないんだけど」
と怒られ、私もしぶしぶ入金手続きをやらされました。入寮を熱望していたはずの妻はあっさり娘の味方をしました。
翌朝。
本日3日朝もこれまでとは別人のような爽やかな笑顔で受験校に乗り込んでいきました。みちすがら「青空が本当にきれい」とか柄にもなくうっとりしています。
4日も5日も一応受験するけど、「正直どうでもいい」そうです。
まあ本人が満足してるなら、それでいいかな。
「この学校にいけてむしろよかった」みたいな受験失敗した人にありがちな「記憶の改ざん」は人の成長を阻害する害悪だからただしく悔しがるべきというのが持論なんですが、ここまで喜ぶならそれは改ざんではなく本心なのでしょう。
なんか残念な気もしますが、私がすっかり偏差値主義に毒されていただけなのかもしれません。
正しい受験勉強はできなかったし、正しい併願作戦もできたか不安ですけど、抑え校選びはうまくいったということでしょうか。
私自身、彼女の喜ぶ姿に精神的にかなり救われています。
あ、うちの受験は5日まで続きます。続かせますとも。
ふざけんな。何が「正直どうでもいい」だw
お父さんの精進潔斎の日々は続きますよ。
(終わり)