がん患者の家族をもつといろいろと大変である。
なにかいい方法はないか。
まだ知られていない治療法はないか。
どこかにいい医者がいるのではないか。
なんて藁をもつかむ思いで調べまくる。
家族ですらそうなんだから本人はもっとそうなんだろう。
母のときはよく本人から相談をうけた。
「ガンは糖分をエサに増殖するから糖質制限するといいらしい」
「よく効くサプリがあるらしい」
「メンエキリョーホーというのがあってそれをやるとがんが消えるらしい。でも、予約が取りにくいらしくて今すぐなら間に合う」
ありとあらゆる連中が困った人間から金をむしり取ろうと手ぐすね引いて待っていることがよく分かった。
とくにメンエキリョーホーのときは、母も父も完全に信じ込んでいたので、兄弟で真剣に止めたがかなり難儀した。
最終的になんとか止められてよかったが、 「たしかにオプシーボで森喜朗は助かったが、母さんがやろうとしてるメンエキリョーホーはそれとは違う。被害を訴える遺族ブログだらけだよ」と伝えた時の、「ああ、そう・・・」という残念そうな顔が忘れられない。
すがった希望のロープが単なる枯れ葉だったことを知った人の顔をみるのはつらい。
単なる枯れ葉を希望のロープだと思い込ませる人々は、生きながらにして地獄に落ちるべきであろう。
母が死んで一年後にガンがみつかり、さらにその半年後に死んだ父は、まったくじたばたしなかった。
母のことでよくわかっていたのだろう。
抗がん剤も家族友人向けのサービスでちょっとだけやったが、さっさとやめて半年後に死んだ。
70前半で死ぬ場合、多くの友人が元気でいるから、父の病室は毎日来客が絶えない、同窓会状態だった。
仲良くなっていた院長には
「先生、おれは女房を家で看取ってるからわかるんだけどさ、いよいよのときはどんどん医療用麻薬使ってさっさと鎮静させてくれよな」
なんてうそぶいてた。
実際、肺がんなのに転移したガンの場所がよかったのか、肺による呼吸不全が本格化して息苦しくなる前に、他のよくわからない要因でたいして苦しまず痛がらずで、結局麻薬も使わずじまいで眠るように死んだ。
私も妻には「仮に私がガンになってもジタバタしないでおくれ」と言ってる。
妻もわたしに同様のことを言っている。
人の人生は単なる運不運の集合体にすぎない。
自分の人生にどう始末をつけるか。
その所作を美しいものにするためには経験が求められるのかもしれない。
真善美というように美くしくあることは価値そのものである。
人は美しくあらねばならない。
だから外形的な習慣の体系として、たとえば武士道のようなものが成立したのであろう。
だから救いの体系として、諸文明の諸宗教が誕生したのであろう。
だが、気になることがある。
それはもちろん読者諸氏ご賢察のとおり、わが娘のことである。
40超えて、気づくと夜釣りで糸を結ぶときに眼鏡をはずしちゃったり、手元を遠くにしたりするようになっている私だからこういう心境に達することが許されるわけである。
受験生の親に達観は必要であるが、受験生自体に達観は不要である。
彼らは死ぬ気で勉強しなければならない。
死ぬ気であがかねばならない。
「もうこの辺でよか」
とかカッコつけることは断じて許されない。
なのにうちの娘は、受験を前に早くも白装束に身を包みつつある。
切腹の作法を練習しているようだ。
ある昼時、送られてきた写真。それが証拠だ。
私が泊まり勤務明けの日、早朝からバイトに出ていた妻からのもの。
「朝の勉強さぼって、マンガ読みっぱなしで学校いったらしい!!!」
「あいつ靴下はいてかなかったのか!!!」
「しかもなんかこぼしてるし!!!」
怒りの連投が繰り広げられた。
救済の日は遠い。