尊敬する上司の持論は「公立主義」だった。
「部長のところ、息子さんそろそろ中学生ですよね。受験とかするんですか?」
「世の中にはいいやつもいれば悪い奴もいる。ろくでもないやつと遭遇しても生きてけるようにおれは息子の教育は公立で通してる」
10年以上前、どっかのホテルのバーで飲んだ時に、こんなやりとりがあった。
なんてカッコイイおっさんなんだ。当時30そこそこだった私は感激した。
私同様公立出身の妻も大賛成。
長女はまだ小さく、アウアウいいながらウンチしてるだけだったが、わが家の家訓は「公立主義」となった。
転機が訪れたのは小学校3年生の3学期くらいだった。
なんとなくうけた日能研の入塾テストもどきの無料テストで、25番とかいうすごい数値をたたき出した。
もちろんこれはまだ訓練を受けてない子だけの順位なのでなんのあてにもならない。
すでに戦闘訓練に入った猛者たちは他塾ふくめ大勢いる。
でも、25番は25番。
25番は25番なんです。
その話を末期がんで入院していた父に土産話で話した。
父は実は、わたしを私立に入れたかったらしい。
「最終的には何年か浪人したとはいえ、それなりの大学に入って人並のお給金を頂戴する会社でもお勤めさせていただけてるんだからいいじゃん何が不満なんだよ」といいたくもなるが、私が中学受験するかと聞いて即答でイヤだと断ってアマチュア無線の講習と北海道旅行に六年生の夏をささげたことが悔しくてならなかったらしい。
次男は中学受験失敗しまくって、今や日本有数の難易度になった東京近郊の私立にすべり止めで入ったのもまた悔しかったらしい。
もっというと三男がヤン(略)
「25番」の報に、父は、がんがどっかに飛んで行ってしまうのではないかというほど喜んだ。
ふだん気難しい祖父が破顔して喜ぶ姿に、娘は敏感に反応した。その前年、祖母もガンで亡くしてるので、それ以来一気に消え入るように死に向かっていった祖父をはげましたかったのかもしれない。
「じいじ、私立中学いったほうがいいの?」
「そりゃそうだよ。頭のいい人があつまるからね。いい刺激になると思うよ」
「どこがいい?」
「そうだね、〇〇なんてどうだろう」
「わたしがんばる」
二人で盛り上がって勝手に決めてしまった。
親父は半年かそこらで鬼籍に入り、ひと段落した秋になって娘は受験生になった。
「公立主義」の魂は、次女が継承すると意気込んでいる。
(姉を見てつらそうすぎて逃げてるだけ)